お風呂に、感謝。
風呂の中で『永遠』について考えた。
温度がちょうどよく、うとうとしていてそうなった。
ずっとそこにいたい、というより、抜けられない。
半分寝ている状態。現実にいるのか、夢の中にいるのか。布団でいるより、その感覚はぼやけている。死んだあとの魂ってこういう感覚なのかもしれない。
ちなみに今いるのは家の風呂ではなく、人の家の風呂だ。
そのうちにに生きているか確認されてしまうから、永遠に『永遠』について考えていることなんてできない。それは死んでからのお楽しみということなんだなあ。
普段気持ちがせわしなくて、家の風呂でもカラスの行水になってしまうようなオイラが、人の家の風呂では何も考えずにゆったりとした時間を過ごせた。
その理由はハッキリしている。
家にいるより『やるべきこと』がないからだ。
自分の家にいたら、家事、パソコン、映画でも見ようか・・・と何かしようとする。
それができないなら、その分時間に余裕ができる。
本当に『焦り』から離れたいなら、一時的に何もできない状態を作り上げることもいい。
若い時にはわからなかった、『何もない土地に行きたい』という気持ちも今なら少しわかる気がする。
ゴテゴテの豪華海鮮ラーメンより、ただのしょうゆラーメンの方がスープや麺の味との対話が長くなるような、風呂場での自分の夢との対話だった。
適温の湯に、感謝。