人の優しさに、感謝。
本来、人って優しいものなんじゃないか。
仕事をしていてパソコンに向かって作業をしていて、指を痛めた。両指が軽い腱鞘炎状態。なるべく指を使わないようにしていた。
その後数日、指はまだ痛かった。
職場の管理者にサポーターをつけていいかを聞いてみると、さらに上に確認するとのこと。
ああ、使えないのかなあ、などと思って待っていると、管理者から「使っていいよ」との答えが。
さらにキーボードも、よりタッチに力がいらないものに変えてくれた。
作業が終わり席に戻ると、オイラは目を見開いた。
そこには、本当に柔らかそうで入力に力がいらなさそうな白いキーボードと、そのキーボードの手前にクッションのようなものが置かれていたのだ。
頼んでもいないのに。
この世は資本主義なのに。
適当に放り投げた空き缶がたまたまあったゴミ箱に入ったかのように、気まぐれのおせっかいがオイラの胸を打った。
困ってるときの優しさに、「人間っていいな、思いやれるってのはいいな」と思ったのでした。
人の想像からの優しさに、感謝。
掃除機に、感謝。
目がかゆいと、落ち込む。部屋に掃除機をかけなくてはならない、と思ってしまうからだ。
オイラは密室状態でのオナラの臭いには敏感だが、ほこりが舞っていることには鈍感だ。空中に浮いていないからいいだろうと、掃除機は極力かけない意識でいる。そうして目がかゆくなる。でも、面倒くさい。
そんな「掃除機かけるぐらいならジョギングした方がましだ。だからジョギング行く!」という思いを胸に秘め、結局掃除機をかけるのだが一番ほこりが溜まってそうなところのみ、掃除機をかける心がけで掃除機を動かす。
目に見えるほど積もっていないところはまだ、許容しよう。ステルスな部分に攻撃はしない。
そもそもほこりは永久になくならないものである。
ヒーローものの映画のように、最後まであきらめずに立ち向かって毎日発生するほこりを消し去るのか、それともオイラは凡人だといって、ほこりに征服された世の中で過ごすのか。
掃除という行為には、けしてあきらめない、強い意志が必要である。
まあまあ吸引力を掃除機に、感謝。
映画に、感謝。
心の通い合い。それには一歩、歩み寄ることが必要だ。
その歩み寄りがどちらもの心をかすめたらば、共感が生まれ、「人間っていいな」と、でんぐり返しをしたくなる気持ちになるのである。
家にJCOMの人が来た。なんでも、住んでいる賃貸マンションに新しく受信機を置くので家にあがってちょっとした作業とその説明をするためということだ。
作業は数十分かかるということで音がないと少し緊迫するなと思い、テレビはつけっぱなしにしておいた。
なにが流れていたかというと、「アントマン」という映画だ。
テレビの前のソケットの前に座ると、その係の人は「お、アントマンですか。いいですね」と映画に対してのコミュニケーションを発した。ニコニコしている。
それはあからさまに、映画に対して好意があった。
ちなみに、オイラはそんなにこの映画は好きではない。
しかしオイラは歩み寄った。
「アントマンって、名前がユニークですよね」なんて当たり障りのないことを皮切りにマーベル作品は何が好きかとか、役者はどうやって撮影しているのかとか、マーベル作品のことはたいして知らないないけど、聞いたりして。
そうすると、そのJCOMの人は、マーベル作品のことを遠慮がちにたくさん話し出して、ただ気まずく作業を終えるのを待つ時間に和みができた。
心の触れ合いである。
営業する方だけでなく客の立場でも、歩み寄ることでほんの数分でもほんのりと楽しい気持ちになれる。
それは例えば妻の死の原因を隠す父とそれが原因で父を信用できない娘でも、気持ちを緩めて歩み寄れば、スッと誤解がとけるようなものだ。
まあ、途中会話をしないでこのまま「アントマン」流しながら黙ってレトルトの麻婆丼食べてようか、と思ったりもしたけど。
共通の話題になってくれた映画、『アントマン』に、感謝。
胃に、感謝。
おのれの愚かさからか、食べすぎることはいまだにある。
一日中家にいるときに買い置きのお菓子を常にそばに置いていおいたり、食べ放題に行ったときはお腹を壊してでも食べてやろう、などと思うオイラの食欲は限りなく旺盛だ。
そうして食べ過ぎるとまず、吐き気がやってくる。そして、さきほどはお腹が壊れてもいい、と思っていたのにすぐさま『後悔の下痢痛』がやってきてトイレにこもり、ヘッドバンキングを何度も繰り返し水分となった下痢便を流しだそうとするのだ。
食べ過ぎたときに共通することは、『何をしているのが快楽が大きいか』ということだ。
家でお菓子を食べるときは、ネットや映画を見ること以外に食べてる快感も足すとより快感が増すので食べている。
食べ放題の場合だと、そこにいる間にしか普段家で食べられないものが食べられないからだ。
しかし、オイラのモットーとするのは、快楽に身を任せることではなく『いかにその物事を楽しむか、味わってありがたいと思えるか』ということ。
制御できれば、したほうがいいことだろう。
なので大切にしたいのは『モノを食べる時は紳士であれ』というフレーズ。
イギリスの貴族をイメージするのだ。胸にハンカチーフを持ち、シルクハットと片方しかグラスがない眼鏡をかけたヤツだ。
そうすれば、上流貴族の立場から、お菓子を無限に食べようとしたり、バイキングで持ってきたカレーをかきこんだりしないだろう。いたって上品な身のこなしなのである。
ふだんの生活にちょっとだけ紳士的意識をプラスして、食生活を改善したいものだ。
多少食べ過ぎられるこの胃に、感謝。
笑顔に、感謝。
自分の笑顔が気に入らないことは多々ある。
旅行に行ったときの写真なんかを見ると、自分の笑顔が変だなあ、と思う。
『社長が急に目の前を通ったんじゃないか』というように笑っているのを見て、もやもやする。
写真で自分の納得できる笑顔をしたい。
中学生の卒業アルバムの写真を撮るときに、カメラマンに漫☆画太郎のマンガの切り取ったものを見せられたことがある。
そんなときも、唇が少しひきつっただけで、気に入ることはなかった。
やはり「写真撮るよ!」といってポーズを取るより、友人と楽しんでるときの自然な笑顔が良いのである。
ヘッドセットかなにかで常に自分を狙うカメラが日常化されることに期待したい。
はにかんだ下手くそな笑顔に、感謝。
イチゴに感謝。
以前相方が、帰りにイチゴを買ってきてくれた。スーパーで目についたのを買ってきたみたいだ。
イチゴと言えば、果物の王様だ。幼稚園児に聞けば、将来なりたいものに「イチゴ」と答える子も多いだろう。
しばらく果物を食べていなかったオイラは、口の中に甘酸っぱさが広がった。
イチゴというのは食後に合う。そして見た目も華やかであり、ふんわりした明るさでこの家を包み込んでくれる。
その包み込み具合は、春に花咲くつぼみというところだろう。
このように素晴らしい意味合いを持つイチゴのお土産だったが、もちろん人によっては「すっぱいから嫌い」とかいう意見もあるだろう。
『そんなバナナの方がいい派』の人にも、イチゴの魅力をもっと知ってほしい。
まずビタミンCが豊富で6,7粒食べれば、一日に必要なビタミンCが取れる。
レモンをかじる必要がないのだ。
次に、虫歯も予防してくれる。イチゴには虫歯予防の成分『キシリトール』が含まれ、ほかの果物より多い。
さらに、腸内に善玉菌を増やし、便秘改善にも効果や、風邪予防、高血圧の予防が期待できるのだ。
そんな思いでオイラはイチゴを食べたい気持ちを高めていたが、こういう時に限って時が流れるのが遅い。
そのため、食べる前までの時間には少し瞑想も入っていた。
やっとのことでイチゴを食べる時間になった。
相方がイチゴを洗ってくれる。相方は、今日も優しい。流しそうめんを一番上から流してくれるような人だ。
イチゴが口の中に入る。予想どおり、美味い。
この粒々の舌触りと、ポジティブな甘さ。噛んだ時の果汁が舌に触れる。
イチゴと舌上のダンスを楽しんでいると、気づかないうちに、もうイチゴが残り1個になってしまった。ここは買ってきていただいた、相方に譲りましょう。結果オイラの方が多く食べたか食べてないかはおいておいて、最後良ければすべてよし。
相方にはいつも感謝しています。
いまの友達に、感謝。
学生時代、メロンの漬け物のお土産を後輩にもらったことがある。
なんでも、実家てある地方の名物らしい。
その味はキュウリに似ていた。
その地方であるところの近くを、車で通っている。大きな山も見える。
もう会える友達も少なくなったオ
イラは、そこまで関係の深くなかったその子は今もどこかで生活してるのだろうか、と窓の外を見ながら耽っていた。山がより大きく見えた。今からでも、利害関係が少なく気の許せる友達はできるのだろうか。趣味があれば、まだ可能性があるかもしれないが、プリンをたまに食べることくらいしか趣味がない。
たまに知らない人と知り合おうと思っても、気が合う人は、なかなかいない。
なので、なおさら今、仲良くしてくれているひとびとに、感謝。