お茶に、感謝。
友だちが、電話で転職の相談をしてきた。
オイラも相談に乗ってる場合じゃないんだが、とりあえず話を聞く。
調理師の友だちなのだが、先輩が職場を変えるから、一緒に来ないか、ということらしい。
話を聞き、オイラなりの答えを伝え、お礼の言葉をもらい、電話を切る。
相談を受けるということは、相手の気持ちを鎮めるためにある。
オイラが、お茶を飲んで気を静めるのと同じだ。
そうするとオイラにとってお茶とは、いい相談相手なのかもしれない。
ただいま、と靴を脱ぐ。
今日も一日中頭の中では快楽や楽しみというホトトギスを鳴かせてみようとしたり、鳴くまで待ってみたり。
冷蔵庫の中には「お~い」と呼べるお茶がある。今日はそれでいいんじゃないか。
苦みと甘みとリフレッシュ作用のあるお茶に、感謝。
またカラオケに、感謝。
一度歌手になってみたかった。
ステージで歌うアーティストは、その存在を多数のオーディエンスに届けることでエネルギーを湧かせ、それがアーティスト自体に返ってくる。エネルギーの循環だ。
しかしいざ歌の練習をしても、全然うまくならない。人に教えてもらったりもしたが才能の問題がある。声を震わせる部分に聞き心地よく響かせる機能は備わってない。
好きこそものの上手なれ、というがカラオケで歌が上手い人でも、情熱の量がたくさんあるということ。
アーティストまでなると、こぼれ落ちた情熱が世の中というテーブルに広がって、そこから床のじゅうたんまで滴り落ちているのだろう。その色に染まる。あるいはシミができる。
今の世の中、カラオケでいい音が出る。
誰がなんと言おうと歌手っぽく歌える時代。
もっと進化して、フェスのステージに立ってるくらいにしてもらうと、数多のの捨て去った夢が叶うのだが。
また、カラオケに感謝。
自動運転に、感謝。
北海道に来ている。車の運転していると、意識せずスピードがあがる。幾度とないスピードメーターと目のやりとりを経てコンビニに立ち寄ろうとしていたとき、目の前で警察に捕まっている車がいた。
どうしても顕れる、自分じゃなくて良かったという思い。授業中うつらうつらしてても先生が注意したのは2つ前の席の生徒だった、という感じ。
運転が上手くないオイラとしては、スピードメーターを振り切るくらい早く自動運転になってほしい。
自動運転開発をしてくれることに、感謝。
追伸:旭川の神居古潭に立ち寄る。朝の空気は楽しい。その清らかさが体に染み込んで、おいしい。
それを強く感じたのは、友達から借りたトレーナーが思ってもいないほどタバコ臭かったというギャップ効果があったからだろう。
明らかにリフレッシュ感が増していた。
朝から一つ、清濁合わせ呑む日だった。