カンシャカンゲキブログ。

感謝感激で人生を充実させられるか、読書と日常生活から実践します。

お茶に、感謝。

友だちが、電話で転職の相談をしてきた。

オイラも相談に乗ってる場合じゃないんだが、とりあえず話を聞く。

 調理師の友だちなのだが、先輩が職場を変えるから、一緒に来ないか、ということらしい。

話を聞き、オイラなりの答えを伝え、お礼の言葉をもらい、電話を切る。 

相談を受けるということは、相手の気持ちを鎮めるためにある。

オイラが、お茶を飲んで気を静めるのと同じだ。

そうするとオイラにとってお茶とは、いい相談相手なのかもしれない。

ただいま、と靴を脱ぐ。

今日も一日中頭の中では快楽や楽しみというホトトギスを鳴かせてみようとしたり、鳴くまで待ってみたり。

冷蔵庫の中には「お~い」と呼べるお茶がある。今日はそれでいいんじゃないか。

 

苦みと甘みとリフレッシュ作用のあるお茶に、感謝。

友人に、感謝。

釣りに行くと、初心者のオイラに友人は親切に釣りのやり方を教えてくれた。そのおかげか、小さな魚を2匹ほど釣れた。

年一回会うかどうかの高校時代の同級生だが、親身になって教えてくれるのはありがたい。お金で買えない、つながりというものは、ある程度年月を経てわかるもの。

年月が知らせてくれる、心情や物の味方の変化。

今日もいいことがあった。バランスをとって、明日が悪いことがある、なんてことはないかもしれない。

明日も、心に良い日だ。

 

子供ができて、さらに優しくなった友人が釣りを教えたくれたことに、感謝。

またカラオケに、感謝。

一度歌手になってみたかった。

ステージで歌うアーティストは、その存在を多数のオーディエンスに届けることでエネルギーを湧かせ、それがアーティスト自体に返ってくる。エネルギーの循環だ。

しかしいざ歌の練習をしても、全然うまくならない。人に教えてもらったりもしたが才能の問題がある。声を震わせる部分に聞き心地よく響かせる機能は備わってない。

好きこそものの上手なれ、というがカラオケで歌が上手い人でも、情熱の量がたくさんあるということ。

アーティストまでなると、こぼれ落ちた情熱が世の中というテーブルに広がって、そこから床のじゅうたんまで滴り落ちているのだろう。その色に染まる。あるいはシミができる。

今の世の中、カラオケでいい音が出る。

誰がなんと言おうと歌手っぽく歌える時代。

もっと進化して、フェスのステージに立ってるくらいにしてもらうと、数多のの捨て去った夢が叶うのだが。

 

また、カラオケに感謝。

 

 

 

 

石に、感謝。

故郷に帰ると、哀愁の青春が頭の中に漂う。

一人ネオン街を歩くと、もっと若いときの生き方の下手くそさが甦るのだ。

そのときは無理に酒を飲んで、無理に騒ごうとしていた。河原の石を磨くような、一見価値がないようで実は価値があることをして、オイラは日々生きていた。

今日もやっているのは石磨きなのかもしれない。もちろん、ダイヤモンドではない。

くすんだ路傍の石でも、いいんじゃない。

すっごいつやつやにできれば。

 

どんな石にも、感謝。

青い池に、感謝。

美瑛という町の観光スポット、「青い池」に立ち寄る。その淡い青を基調とした神秘的な色は、胸に不思議なざわめきを感じさせる。さらには、木が池から生えている珍妙さに、なぜか心洗われた。

数多の異国語が飛び交う観光地でも、澄んだ気持ちになれるのは貴重な時間だ。

ああ、これがパワースポットというものか。

なんか明日、メガネをかけなくてもちょっと物がよく見えたり、水道水が少し美味しくなってる気がする。

小指をどっかの角にぶつけても、痛くない気がする。

 

たまにみるエネルギッシュなスポットに、感謝。

自動運転に、感謝。

北海道に来ている。車の運転していると、意識せずスピードがあがる。幾度とないスピードメーターと目のやりとりを経てコンビニに立ち寄ろうとしていたとき、目の前で警察に捕まっている車がいた。

どうしても顕れる、自分じゃなくて良かったという思い。授業中うつらうつらしてても先生が注意したのは2つ前の席の生徒だった、という感じ。

運転が上手くないオイラとしては、スピードメーターを振り切るくらい早く自動運転になってほしい。

自動運転開発をしてくれることに、感謝。

 

追伸:旭川神居古潭に立ち寄る。朝の空気は楽しい。その清らかさが体に染み込んで、おいしい。

それを強く感じたのは、友達から借りたトレーナーが思ってもいないほどタバコ臭かったというギャップ効果があったからだろう。

明らかにリフレッシュ感が増していた。

朝から一つ、清濁合わせ呑む日だった。

 

爽快感に、感謝。

やたら冷たい麦茶を水筒で飲んで「生き返る…」と呟いたことってないだろうか。

オイラは最近水筒を持ち歩いている。水筒自体に少し重みがあるかもしれないが、それを割り引いても冷えたオアシスがいつでもあるのは頼りになる。そして今日も、家に帰っときにちょうど中味がなくなるように飲みきった。「ピッタリ…!」それがまた、違う種類の気持ちよさを味わわせてくれる。

オイラは今日も明日も明後日も、気持ちいいを探すだろう。それも1つの生理現象だ。

 

いつもどこかに潜んでいる爽快感に、感謝。