津川雅彦に、感謝。
近くのカラオケ屋に行くと、そこにソフトクリームは無かった。前はあったのに。
結構楽しみにしていたが、心を諦めに導くまで小二時間ほどかかった。期待とは往々にして裏切られるものだが、そのときにオイラはマイナスのリカバリーを考える。
今日は、「予告なくソフトクリームがなくなるのはとても残念だが、レキシやグループ魂の楽曲を心おきなく歌えたので良しとする。」と寝る前に唱えることとしよう、と考えたが、寝る段になってもいまだソフトクリームが店に無かった傷は癒えていない。
風呂に一週間入っていないときの銀蝿のように、その事実はまとわりつくのだ。
救いは、グループ魂の『津川雅彦』という曲が提供曲リストに入っていたことだった。
下ネタオンパレードの楽曲をカラオケに入れることを決定してくれた人に、感謝。
訓練相手に、感謝。
初めての人と会うのは、気を練る訓練になる。その人がどのような人間なのか、予想するのも思考の力を鍛えられるのだ。
肌の合わない冗談を言われたときに気の使い方を柳のようにしなやかに、思考の力で面白いような解釈できたら、という理想がある。が、それはワニが噛んでも欠けることのない杯のように、完璧な理想だろう。
なので、その理想の一欠片でも実行できたら良しとしておく。
余談だが、古市氏がテレビで言っていた。肌の合わない相手はサンプルとして考えればいいそうだ。
そういう人がいる、というのが学習できたということだけが残ればいい。
今日のオイラは、ウィットに富んだ返しなどはせず、ニコニコしていた。それで良いのだ。楽しい。天使の気分。
訓練相手になってくれた初めて会った人に、感謝。
ロックンロールフラワーに、感謝。
目の前で、警察に捕まった人がいた。何をやったかのかはわからないが、その人は自分を抑えられなかったのだろう。
そして、街の人は気にせず歩いていた。気にせずかどうかは正確にはわからないが、その性格がわからないから、知りようもない。
人の悪いところを見て、自分や家族がそうならないようにしようと考えても、そうはならないとも思う。
今日街の弾き語りに1000円あげたとしても、腹が減って金がなければそいつをその持ってるギターでぶん殴って金を奪ってしまうこともあるだろう。
どれだけそこらじゅうひまわり咲く悩みない世界が作れるか。
ロックンロールフラワーを街の花にするところから始めたらいいかもしれない。
舗道の端のそいつに声をかけたら、踊るのだ。嫌な自分が出たときに、気持ちが機械仕掛けのその太陽に照らされ、きっと悪感情が焦がされる。
ロックンロールフラワーという踊れる発想を考えた人に、感謝。
まんじゅうに、感謝。
まんじゅうが怖い人もいる。オイラも、正確にのどの奥まで自主的飛び込んでくるお化けまんじゅうがいたら、可愛がる自信はない。
どんなものでも、ビビろうと思えばビビれる、ということだ。
そこの角を曲がったところに猛スピードで走ってくるランナーがいるかもしれないし、動物園に行けば、鉄柵がほぼボロボロで手をかけた瞬間に転げ落ちてワニのいる池で餌として入るかもしれない。自転車をこいでるだけで、カラスに目玉をつつかれるかもしれないのだ。
オイラは柳のように生きたい。ランナーがいればその風を浴び、鉄柵がボロボロであればなでるだけ。カラスには、カラスの足がひっかかるような輪を帽子につけて、引っかかったらその帽子を木に引っ掛けて走り去りたい。
うまいまんじゅうに、感謝。
お茶に、感謝。
お茶はいつも友達だ。
しかし、ライトにお〜いお茶を飲んで、お茶が好きですという層と同じくらいのお茶へのこだわりしかない。
スーパーでお茶をあれこれ買ってみても、通への道が全く見えない。
この学歴社会と同じで、塾と参考書が必要なのか、いや、必要そうだ。
しかし、それに詳しくなくても友達にはなれる。
果たして、あなたは仲のいい友達のことをどれだけ知っているというのだろうか。
ディズニー映画の恋愛と一緒で、なんかフィーリングが合うからくらいで友達になってることはないかしら。
何となく仲良くなったのがヤバいやつだったときはご愁傷さまということで、フィーリングでガンガン友達を作れる人はある意味うらやましい。
オイラは人間ではなく、お茶が友達ということで良かった。
フィーリングよりテイスティングで友達を選ぶタイプです。
お茶が付き合ってくれる今日この日に、感謝。