「こころ」に、感謝。
このブログを書いてると、こころの動きをなぞっていることに気づく。
人の行動を見て、さまざまなことを思っているものだ。
その中でも、オイラは特に「なぜ」と考えることが多いようだ。
「なぜ、あの人はああいう行動を取ったのだろう?」
「なぜ、あのとき、ああいうことを言ってしまったのだろう・・・」
どちらかというと、ネガティブな感情を思い起こすことにこの「なぜ」がついてまわる。
考えだすと、何周もぐるぐる頭の中でトカゲのように駆け巡り、結局結論などは出ない。
だが、つまるところそのネガティブな感情も貴重な体験なのだ。
人に悪態をつかれても、それは一つの体験。
会社で女性の上司を「お母さん」と間違えて呼んでしまったような恥ずかしい事、仮病で飲み会キャンセルしたときに同じ居酒屋でばったり会ってしまうような気まずい事も、一つの体験だ。
それが面白いと思えるようになるまで、壺にフタをして熟成させよう。
そしてその熟成には、「こころ」との対話が必要だ。
「なぜ」は向上心から。「こころ」との対話で自分を前進させる素晴らしいもの。
対話の相手をしてくれる、「こころ」に感謝。